こんにちは!Nikkei223です。

ニューヨークに旅行に行っていたため、久しぶりの投稿となってしまいました。
申し訳ありません。

今回は、

「アメリカは元から保護主義の国だった!?リンカーンが推進した保護主義政策」

というテーマで進めていきたいと思います。

中国との貿易戦争が激化する一方で、イランに対しても原油をめぐる経済制裁を行なっており、北朝鮮、ロシアと様々な国に対して、経済政策を行なっております。

そして、トランプ大統領が掲げた「アメリカファースト」の政策が行き過ぎではないのかという、意見もちらほら聞こえます。

しかし、時を遡ること約160年。1860年にアメリカ合衆国大統領に選出された、リンカーンですが彼も保護主義政策を推し進めた、大統領であったのです。

当時の世界情勢を交えながら、解説していきます。

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①当時のアメリカを取り巻く環境

アメリカは1776年7月にイギリスによって統治されていた、13の植民地が植民地支配からの独立を宣言しました。

しかし、その後も世界の中心国はイギリスとなっており、経済・産業においてもイギリスを無視しての政策を打つことはできませんでした。

特に当時は産業革命がイギリスで勃興し、手作業で行なっていた綿工業が機械化されていき、世界中にイギリス製の安く、品質の高い綿が輸出されていきました。

その技術力に裏付けされた輸出中心の貿易によって、イギリスは圧倒的な利益を獲得します。

②1800年ごろのアメリカ国内の状況

イギリスから独立したアメリカ合衆国ですが、州(ステイト)と呼ばれる小国家の連合国でありました。
ご存知のようにアメリカの国土は広いため、南部と北部では気候などが大きく違います。

温暖な南部諸州では、地主がイギリスへの綿花輸出拡大を望んで州単位での自由貿易を主張しました。

一方で、寒冷な北部諸州ではイギリス製品の流入を嫌う産業資本家が保護主義を求め、ワシントンの連邦政府が一括して関税をコントロールすべきだ、と主張しました。

ここでアメリカ国内で北部と南部の、地理的条件による対立が起こってしまいました。

③奴隷制をめぐる争いの勃発

また、南部と北部で奴隷制をめぐる対立も勃発します。
南部では、綿花畑で黒人奴隷を使役し続けたいという思いがありました。しかし、北部では黒人を解放して移動の自由を与えることで、北部にある工場の安価な労働者として雇用したい思惑がありました。

そして、19世紀前半に南部地主の政党である、民主党の政権が続き綿花産業が急成長しました。これにより、北部の資本家達は危機感を持ちます。

その結果、北部の資本家達は共和党を結成し、奴隷制の是非を争点にしてリンカーンを大統領候補に擁立しました。

最終的には、1860年の大統領選挙に勝って民主党から共和党への政権交代を実現します。

④ついに南北戦争が勃発

ここで決着がついたかと思われましたが、南部の地主たちはまだ諦めません。
この大統領選挙に反発した南部11州は、合衆国を離脱して「アメリカ連合国」を結成します。

リンカーンはこれを阻止するために南部との開戦に踏み切るのです。
これが南北戦争(1861年〜1865年)です。

この戦争は北部が勝利しました。
これにより、アメリカは保護貿易に転換し、奴隷制を廃止しました。

⑤最後に

奴隷制を廃止し、アメリカの建国の祖として知られるリンカーンは実は保護貿易の推進者であったのです。皆さん知っていましたか?

ただ、当時のアメリカと現在のアメリカを比べて大きく違うところは、アメリカが先進国か途上国かというポイントです。このポイントがとても大切になってきます。

発展途上国が関税をかけ、自国産業を守ることで国の根幹となる産業を育成することができ、国の発展に大きく貢献することができます。

しかし、現在のアメリカのような国が保護貿易に転じてしまうと、どうなってしまうのでしょうか。
おそらく、過度な保護貿易はアメリカ国民の需要を潰してしまうことになってしまうため、アメリカそのものが弱体化することに繋がってしまうでしょう。

保護貿易の姿勢を強めてから、まだ1年程度ですのでこれからの長い歴史の中で、アメリカはどうなって行くのかがとても楽しみですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。